何故壊されてしまったの?「平野屋新田会所を考える会」事務局 信じられないことが起きました。平野屋新田会所が破壊されてしまいました。母屋や表長屋門などの建物も樹齢300年を超える大木も、一切合切です。国が史跡(遺跡の重要文化財)に指定し、市が買収する場合は経費の8割、建物を解体修理し公開活用のための整備するための費用の5割を国が補助するにもかかわらずです。文化財の保存運動では、国史跡指定が決まれば、それで“上がり”というのが前提です。文化庁の内示があり、国会でも文部科学大臣が前向きな答弁をしている国史跡の候補である平野屋新田会所を大東市は取得することができなかったのです。私は埋蔵文化財の勉強をはじめてもう35年ほどになりますが、こんな話は聞いたことはありません。 確かに色々な難しい経過はあったと思いますが、これは“負けはない”否“負けてはいけない”勝負なのです。またひとつ“暗い汚い何もない”大東のイメージに“勲章”が付加されたのです。市民として恥ずかしい限りです。 私達の運動に至らない点もあり、反省すべき点もあります。しかし今回の破壊を招いた主要な原因は、次の3つであると思います。 (1) 会所は一昨年暮に裁判所の競売にかけられましたが、開発業者の落札価格が想像を越えた高値であったこと。約5億2000万円です。 (2) 行政が土地などを買収する場合は、国民・市民の税金で購入するのですから適正な価格である必要があります。そのために専門機関に鑑定を求め価格を決定します。市が鑑定によって設定した価格は5億1000万円でした。そして、この価格の8割まで(約4億円)を国が補助してくれます。すでにここで業者の落札価格の方が1000万円高いのです。 文化庁から示唆されたことは、全国の同様な事例を勘案すると鑑定額の1.3倍までは不当な買収価格であるという住民訴訟などは起こったことはないということです。6.5億円ぐらいまでは社会的に適正と認められるということです。しかし大東市(というより市長の政治判断だと思いますが)は、当初5.5億、そして土壇場になって6億円の少し手前を提示しています。そして最終的に市民の集めた浄財(3000万円)を含めて6.5億円を提示しましたが、1.3倍まで出すという決断を市独自としては最後までできなかったのです。 (3)昨年6月に開発業者が裁判所にお金を納めてから市は断続的に交渉していたようですが、最初の提示から 5000万円上乗せして提示するのに半年もかかっています。結局その上乗せ分は、その間に金利分にしかならないのです。最初に6億円を提示していたら交渉の進展もかなり違ったものになったと思います。交渉期間がかかり過ぎた、これも大きな原因です。このような交渉では“時は金なり”。 直接の原因は、このようなものです。 ところで私達は市の上層部から複数回、経過の説明を受けましたが、その中で“全市民的な盛り上がりにかけた”とか、“市議会議員の中でも賛否両論がある”など、市の決断を鈍らせる要素があったというものもありました。 わたしたち「考える会」が活動を始めた頃には、“行政もしっかりやっているんだから、騒がんといてくれ”とわたしに言った教育委員会管理職がいたことはさておくとしても、市議会が全会一致で保存の決議がされているにもかかわらず、市民の盛り上がりがないとか、市議会議員も意見が分かれているとかを公的な場で発言する市の上層部の感覚を疑います。市民の代表である市議会を踏みにじるもの、議会制民主主義の原則を踏み外した発言であると思います。ここに象徴される大東市の体質が破壊という結論の重要な要因ではないかと今は思っています。 しかし、この結果に対する決着(おとしまえ)は私達なりにつけねばなりませんし、また市にもつけてもらわねばならないと思います。平野屋新田会所を具体的にどのように顕彰するのか、わたしたちは考えはじめています。岡本市長からも経過説明の中で“何か顕彰するための事業を行うなら、市も継ぎ足させてもらう”というお言葉をいただいています。 そして会所は破壊されましたが、会所の歴史がなくなることはありません。「平野屋新田会所を考える会」は、これからも活動を続け、一層強化して続けていきます。そこを通じて歴史を総括し、風格があり誇りをもって生活できるまちづくりに関わっていきたいと思います。今後ともご支援をお願いします。 |